この写真、何の写真だかわかりますか?
答えは後ほど。
このゴールデンウィーク僕は仲間と仙台に帰ってきました。
地震後2回目の仙台への帰郷でした。
仙台は、着々と復興に向けて険しい道を歩んでいます。
そう、道は険しいんです。
様々な問題が山積しています。
被害にも大きなの差があったように、復旧、復興の度合いも人々の意識も地域によってとても大きな差があるなぁと感じました。
こちらは仙台市若林区の荒浜。海まで200メートル程。
海から内陸を見た方向。
画面奥は住宅街でしたが、今はガレキと家の基礎部分のみが残る。
こちらも荒浜。
海の方を向いています。
画面左は住宅街でした。
同じく荒浜。
一面が海の砂とヘドロ。
画面奥は住宅街。
荒浜は、仙台市内で最も大きな津波の被害を受けた地域で多くの方が亡くなりました。
地震後、津波警報が解除されるまでの長い間、手がつけられず、多くの死体を放置せざる終えない状況でした。
震災からもう2ヶ月が経とうとしていますがこの状況です。
この地域の近くにある一軒の農家にお世話になり、泥かきのボランティアをしてきました。
みんなにこの農家の被害状況を伝えたい気持ちはあるんですが、被害者の心理を害する可能性があるので写真はありません。
この農家は大きな田んぼと畑をやっていましたが、津波を被り、7,8センチの泥が溜まっています。
塩害で約5,6年はお米が作れない状況です。
農業をずっと生活の糧にしている主人は明るく振る舞っていましたが、これからどうやって生活をして行けばいいのか、先の見通しはたっていませんでした。
ボランティアセンターに登録して作業をしたんですが、、僕が行った仙台南ボランティアセンターに着いたのが朝の8:30。
100人程の人が並び、9時から登録が始まります。グループに分かれそれぞれの現場に向かいます。
現場に出発できたのが11:30。
3時間待ち。
ボランティアセンターによってかなり状況が違いますが、3時間待ちの理由は仕事の量に対してボランンティアの人数が多いため。
被害状況からいって、仕事はたくさんあるんだけど、ボランティアがやれる仕事には限界があります。例えば、屋根に登って、崩れた瓦を片付けたり、床下にもぐって泥を取り除いたりするといった危険を伴う仕事はさせてくれません。
また、仕事は100%被害者からの依頼。被害者の方があまり仕事を依頼していない状況なのかもしれません。
泥かきはとてもハードでした。
外に積もった泥はもう乾いていて地面から剥がしやすく、おせんべいみたいな感じになってるんだけど、ビニールハウスの中等の泥はまだ水分をたくさん含んでいて、重く、剥がしにくいため骨が折れます。
雨が降るとドロドロになって、そういう泥を見るのも嫌だと農家の主人は話していました。
作業は夕方3時か4時には終わらせなきゃならないので、短い時間ではやれることも限られ、とても一日で片付く泥の量ではありませんでした。
継続して地道にやっていくしかありません。
さて、後日もう一度ボランティアに向かったんですが、この日はもっと早く朝8時に並び、仕事を待ちましたが、この日は依頼が少なく、作業できませんでした。
なのでこの日は友達の実家の山の方にある畑を手伝うことに。
翌日、塩釜に仲間6人で行きました。
前回3月の末に訪れている場所で、それと比べるとかなりキレイになっています。
塩釜は海沿いの街。仙台から仙石線で30分くらいの距離です。
ここは入江になっているから被害はそれほど大きくありません。
だからころ、みんなのお手本になるようにと復興を頑張ってるんです。
それでも、塩釜はまだ灌水します。
地盤沈下で、大潮の満潮時にはドブ川や海が溢れ、低い土地が水につかってしまう。
ドブ川。震災前から汚い川だったみたいですが、ヘドロがかなり堆積してるのがわかるでしょうか。
そしてこの写真。
冒頭にクイズを出しましたが、これは松の葉が落葉してる状況。
津波の塩にやられたのではないかと考えています。
塩釜で、ある人と話をしてきました。
「よみがえれ塩釜」という復興支援団体を立ち上げと土見君。
「よみがえれ塩釜」の活動内容は基本的に3つ
・情報発信
塩釜市の運営サイトでは把握できない細かな情報を届ける。
・物産のPR
震災前よりも魅力的な商店街に。関東にも物産を取り扱ってもらっています。
・人を繋げる
塩釜の人と、違う地域の人を結び、塩釜ラヴァーを増やす。
(よみがえれ塩釜のサイトは今月中にはできるとのことです。)
僕も一年前に塩釜のビルドフルーガスというギャラリーで絵の展示をしてから塩釜が好きにまりました。なんで好きになったかって言うと、すてきな人々に出会い、友達になったから。
今、僕が思う一番良い支援方法は、物資提供でも、泥かきでもなく、仕事を支援してあげることかなぁと思っています。
知り合いの写真家曰く、塩釜のコマーシャルはまったく止まっている状態で写真の仕事がない現状。
また、ボランティアで行った農家の主人も塩害で仕事ができない状態。
仮設住宅に住む多くの方は、物資をもらうのが当たり前になって自立する力を失い始めている状況。
「ずっと、ボランティアでは生きて行けません。」
仙台の僕の友人はみんなの先頭に立ってボランティアしたり、物資の分けたり、届けたり、支援のシステム作ったり頑張ってるけど、そんな奴らがこう言っていました。
これからは、仕事につながる支援が求められています。
仕事が発生するようなイベント、支援。
アート系だったら、東京のギャラリーで被災地の作家を招待して展示を企画するとか。
パン焼き機が壊れたパン屋さんにパン焼き機を提供するとか。
なんか、仙台に行ってよく聞くのは、支援する側のエゴを感じる支援で困ってるって話。
例えば、明らかに使い古しでボロボロで汚い衣服が大量に送られて来たり、賞味期限が明日で切れる食品が送られて来たり。
ある避難所にはみんなの一生分くらいの量の歯ブラシが送られて来たり。
被災地の人のためを思うならニーズに合わせた支援を!
助けたい気持ちだけで動くのではなく、リサーチして、状況を把握する努力をして。
被災地でイッパツ手伝ってこようか!みたいなことは全く求められてなくて、小さなことでも、継続した支援が求められている状況だと、今回の帰郷で感じました。
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